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今回のスーパー歌舞伎「オグリ」は、主演のオグリが、猿之助と隼人のダブルキャストで、役者に合わせて、衣装が全く違う!!これは、かなり贅沢なことですが、猿之助主演を観たあとでの隼人主演を見て、その威力をまざまざと感じました。
隼人のオグリ、絶品の美しさ
隼人が、ポスターの黒いキャップの衣装で後ろ向きで登場した時、世界がガラリと変わりました。
観劇したのが2週間程前なので、多少の間違いがあるかもしれませんが、一人の舞台で、剣を捌き、周り舞台に一人で、ぐるりと周ります。
メチャカッコイイ!!
日ごろ歌舞伎を観ている私からすると、まるで、アニメのヒーローが登場したようとでもいいましょうか。
立ち回り姿が以前からカッコイイなと思っていたし、最近は、若手一番のイケメンという位置にいますが、スーパー歌舞伎という自由度の高い衣装で、輝きぶりが半端なくなりました。まさに、真ん中に立つ人べき人ですね。
隼人オグリで、オグリ党、照手姫が馴染んでる
10月に猿之助版を見た時には、オグリ党のメンバーを色濃くしている割には、地獄での戦い以降は全くでてこないという尻すぼみな感じや、仲間の心を救っている立派な人の猿之助オグリが、なぜ地獄で罰を受けなくていけないかが、しっくりきませんでした。
それに、照手姫が新悟で、まず体格的に、どうみても猿之助とのバランスが悪い。
演出はすばらしいけど、物語としては、イマイチだなと思っており、これをもう一度観るなんて、という思いも観劇中にチラリと湧いたりしてました。
でもそれが、隼人のカッコよさですっかり吹き飛びました。
オグリ党の仲間達との距離が近くなって、ワイワイしている感じになったし、「既存勢力に反発してきた若者たち」というのが滲み出ていました。
また、隼人なら、新悟の照手姫とのバランスもよくなります。体格だけでなく、世代的に近いこともあるでしょう。そういうことで、猿之助版で、一幕の設定に入っていけなかったところの壁がすっかりなくなり、物語が楽しくなりました。
登場の時の、黒いキャップの衣装はとても素敵だったのに、次のシーンでは着替えていて、残念。でも、他のものも素敵でした。
ということで、二幕目終わったところで、舞台写真見に行ったら、素敵な隼人の写真が二枚も売り切れ!!その2枚がどう見ても、いい。1枚500円もするのに、ベスト2が買えないなんて、というので、終演後に考えようと。
三幕目の弱ったオグリにビックリ!!
三幕目では、オグリは餓鬼病(ガキヤミ)となって、外見も変わり果て、自分で歩くこともできない弱者になります。
顔は汚い仮面で半分隠し、髪の毛もふにゅふにゅのロン毛です。衣装もそれまでのものとは、比較にならないダボダボした地味なもの。猫背で、よわよわしく座っている。猿之助とほぼ同じ衣装です。
猿之助版の感想には、
「幕開けの華やかさはどこに。普通は、このあたりで盛りあがるでしょ、というところが、辛抱の時間。だから観劇疲れを感じます。」
と書いています。
ところが!!この弱っちくて地味なのが
素敵なのです!!!
これには、私も驚きました。
膿のような色をした仮面で額から片目の頬骨あたりを覆うことで、反対側の骨格の美しい顔が余計に引き立ち、なんだか妖しい色気が出てくるのです。
隼人は、口元が小さくて上品。瞳にもかわいさがある。だから、海老蔵みたいに、「強い眼光に射すくめられ、大きな口に吸いこまれそう!!」みたいな感じにはならない。
歌舞伎で白塗りのボンボンをすると、はんなりした感じが出て、立ち回りが似合う隼人とは、別人になります。
だからなのでしょう。弱くうなだれていたり、杖にもたれかかっているのもなんとも言えない魅力があり、カッコよかった一幕二幕よりも、ずっと美しいと感じたのです。
車を引いてくれいているのが、照手姫だと気づき、照手が生きていた喜びと、自分がこんな風になってしまって、どうすることもできなくて苦しんでいる姿。涙しました。これこそ本物のラブシーンでした。
この三幕がよかったのは、一幕で感じていた違和感があったのもあります。
一幕で、照手姫が、家族や家臣の前で、「私には好きな人ができました!」「それはオグリ様です!!」と叫ぶシーンが、どうも好きになれくて。これが演出家の意図なのでしょうが、聞いていて気恥ずかしいというか。そして、オグリも、「堂々と自分の気持ちを叫ぶ照手に恋をした」と。そりゃ、皆の前で、「スキダー!!」と告白されたのですからね。断りませんよね。でも、それだけで、本当に好きになるの?
日本の姫としての「恋の告白」としては、あまりにも情緒が欠落していたので(個人の感想)、オグリが気持ちを抑えたこの三幕の二人がぐっと引き立ちました。
オグリは、いろいろな苦難を乗り越えて熊野に到達し、最後、自分の力で岩壁をよじ登ります。そして、ここに至って気づいた気持ちを叫びます。が、しかし、ここは、さすがに猿之助がよかった。「私は、今、気づいた!」的なのは、まだ、隼人には厳しかった。感動的なセリフで、観客を巻き込む猿之助の力はスゴイですから。
スーパー歌舞伎の華やかさを生かした、隼人のイケメンぶりはピッタリで、1回しか観ない方には、ビジュアルの美しさで、隼人主演をおススメします(猿之助は大好きですが)。
舞台にこんなに映像がいるのか?
ただし、疑問だったのは、映像についてです。
最初の役者の紹介や、地獄で戦うシーン、舞台転換のつなぎで等では、映像が効果的だと思いましたが、舞台装置があって、役者が演じている時にいるのでしょうか?舞台なのだから、書き割りで表現するのが、本当ではないかと。背景が無駄に動くと、舞台の役者がひきたたなくなるように思いますが。
そう思ったのが、一番は薔薇のシーン。
「昔の日本のバラって、こんなに花びらたっぷりだったの?」というのが、一面の赤バラの映像で浮かびました。日本のバラはノバラ系のはず。
調べると、バラは茨(うばら)と書き、「万葉集」や「常陸風土記」には出ているようです。常陸の国は、今の茨城県で、名前の由来は「茨(うばら)」に関係するとも言われています。
小栗判官の物語は、常陸の国、つまり茨城県の事なので、バラが登場するのはいいのです。でも、今の時代の西洋からきた派手な薔薇の映像がいるのでしょうか?
舞台には、赤薔薇の花壇がありました。それはとても綺麗でした。そして、映像のように大きくないので、「ノバラじゃない」とか思わないし、饒舌すぎず、華やかに舞台をひきたてます。
このバラの前でオグリと照手姫が語り合っている時に、映像の薔薇は、「本当にウルサイ」と感じました。「華やかでよかった」という意見もあるようですが、なくても、十分に華やかになるシーンでした。このうるささが、「猿之助にバラは似合わない」と思わせた原因だと思いいたりました。
海のシーンの映像も、最初はきれいですが、役者が動きだす時にはいらない。映像は、どうしても動きますから、余計な動きをして、主演の邪魔をする脇役のように思えました。
映像を多用していると、書き割りや舞台装置を作る能力が失われていくような気がします。それは、舞台ではない。
おそらく、映像で作ってしまった方が、保存も移動も簡単ということがあるのでしょう。でも、使い過ぎには注意して欲しいと思います。舞台は、背景が動かないものとして作られているのが、本筋ですから。
まとめ
「主演が変わると、こうも物語が変わるのか」というを強烈に感じ、自分でも驚きました。考えれば、通常の役替わりだろ、ある程度年代や実力が拮抗した人になることが多いけれども、猿之助と隼人だと、社長と有能な新人みたいなものですからね。
隼人の舞台写真についてですが、買うのはやめました。
三幕の隼人に心つかまれましたが、写真になるとその良さはわからない。友達に見せても、「何でこれにしたの?」となるだろうし。
初めて買う隼人の写真なら、一番美しいものを⇒でも売り切れ、ということでね。
前回の「ナルト」でも、欲しい笑也の写真が売切で、しかたないから、他のを買ったのを思いだしました。
今、写真なんて、すぐに焼けると思いますが、あんまり欲がないのですかね。スタッフの皆様には、売り切れにならいように準備しといて欲しいです。舞台写真は、舞台の感動の気持ちを買うものなので、「その時」が大切なのですから。