京都の紅葉を電車と徒歩で味わう②叡山電鉄一乗寺駅周辺 圓光寺等

叡山電鉄 一乗寺駅を降りると、徒歩で行けるお寺が集まっています。その中でも、紅葉が美しい庭園で人気が高まっているのが圓光寺(えんこうじ)。ここの特徴は、散ったあとの一面の紅葉が美しく「散りもみじ」「敷きもみじ」と呼ばれ、わざわざ散ってから訪れる人も多いということです。

京都の紅葉を電車と徒歩で味わう  圓光寺は見どころいっぱい

圓光寺は叡山電鉄一乗寺駅から徒歩15分程で行けます。松と紅葉の中に立派な門構えが見えてきます。圓光寺は、徳川家康が1601年に伏見城下に開いた僧俗を問わず入学できる伏見学校が、その後禅寺の寺院となり、この地に移設されてきたものです。

書院に入ると「十牛の庭(じゅうぎゅうのにわ)」と名付けられた庭園があります。緋毛氈を敷いた廊下に座り、苔の緑とのコントラストで美しさが引き立つ紅葉をじっくりと味わってください。さらに周囲には山の景色もあり、ゆったりとした奥行が感じられます。

「十牛」とは禅の悟りにいたる道筋を表したもの。ここはかつて禅僧たちの修行の場であり、一般公開されていなかった寺院なのです。

この庭の魅力は、見るだけでなく、歩くことができるということです。庭園内にある栖龍池(せいりゅうち)に沿って庭園を回遊することで、庭に立ち上る自然の香りを感じることができます。

十牛之庭にある竹林は「応挙竹林」(おうきょちくりん)と呼ばれ、人気絵師、円山応挙がよく訪れていたそうです。奔龍庭奥の瑞雲閣には、この竹林を描いた応挙の作品「雨竹風竹図」があります。

圓光寺境内の奥にある裏山には、家康の歯が埋葬されている東照宮や、歴史小説「花の生涯」のヒロイン・村山たか女の墓があります。

村山たか女は、第13代彦根藩主の井伊直弼が、藩主になれるはずもなく、うつうつと過ごしていた不遇の時を慰めた女性です。波乱万丈な人生を送り、幕末の嵐の中で罪人としてつかまり、凍りつくような寒さの中、三条大橋に三日三晩の生き晒しの刑に処せられ、そして生き延びた女性です。その人のお墓がここにあります。階段はそれほど長くありませんので、是非足を運んでみてください。また、裏山に登ると、京都の洛北エリア一帯の素晴らしい眺望も見渡せます。紅葉以外も見どころ満載で楽しめます。

京都の紅葉を電車と徒歩で味わう 圓光寺から徒歩で詩仙堂へ

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圓光寺からは数分で詩仙堂に着きます。詩仙堂は、家康の元家臣の石川丈山が隠棲した山荘です。石川丈山は、漢詩や儒学、茶道などに精通した人物で、煎茶の祖とも言われています。また、庭園設計の名手としても知られていました。

美しい庭を見渡せる「詩仙の間」の四方の壁には、狩野探幽(かのうたんゆう)らが描いた三十六人の中国の詩仙の肖像が掲げられています。これが詩仙堂の名の由縁となりました。

名手丈山の設計した庭園には四季折々の花々や木が植えられ、紅葉はもちろん、一年中楽しめる味わい深い庭園になっています。詩仙堂が建てられたころは、夜中に頻繁に出没するイノシシや鹿を追い払うために「ししおどし」が日本で初めてつくられました。静寂の中で「コーン」と響く音を丈山が気に入り、その後彼がつくる庭には「ししおどし」が設置されるようになり、それがいつしか全国に広まったといわれています。

京都の紅葉を電車と徒歩で味わう 詩仙堂から金福寺へ

金福寺へもわかりやすい道で数分で行けます。金福寺は「こんぷくじ」と読みます。864年に創建されたという歴史あるお寺です。庭園の東側には、芭蕉が京を訪れた時、庭園の裏側にある草庵を訪ねたということで、それが「芭蕉庵」と言われるようになりました。

この草庵は一度荒廃していたのですが、100年近く経って芭蕉を尊敬する与謝蕪村によって再興されました。また、歴史小説「花の生涯」のヒロイン・村山たか女が尼となって過ごした寺でもあります。

俳句の聖地ともいわれるお寺で、ここで読まれたという俳句です。

憂き我をさびしがらせよ閑古鳥 松尾芭蕉
耳目肺腸ここに玉巻く芭蕉庵  与謝蕪村
我も死して碑に辺せむ枯尾花  与謝蕪村

こじんまりしていますが、文人たちの交流や、激しく生きたたか女が過ごした時間に思いを巡らすと、紅葉の美しさも深まります。

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